アンディ・ハンプステン


最近はレースに出たりとか、何かイベントが無いと ブログを書かなくなってしまい、たまには取り留めも無い話を。

自分が高校生の自転車部で競技を始めたのが94年。もう四半世紀も前のことで、月並みな言い方ですが当時はインターネットで情報を得ることなどできず、月1回の雑誌の発売日が待ち遠しかったこと。

両親には申し訳ないですが、学校の教科書より長い時間雑誌をむさぼり読んでいたと思います。
リザルトを覚えるくらい見たり、選手のバイクは穴が開くほど眺めていました。

その頃全盛期だった選手は自分の中では超が付くほどのアイドルなわけですが、全盛期を過ぎた選手-レモンやハンプステンなどは後追いでその当時の活躍を知るだけでした。
特にハンプステンは『吹雪のジロでマリアローザ』くらいしか記憶がありませんでした。

Hoogvliet - archief - archives - stock - - wielrennen - cycling - radsport - cyclisme - Passo di Gavia - Giro D’Italia - Andy Hampsten - foto Cor Vos ©2011

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ところが、何となしに読んだ↓の記事が知らないことばかりだったので、書き留めてみました。

・85年に区間優勝したジロは、セブンーイレブンチームと1か月のスポット契約により出場したもの。

 
・88年のジロで吹雪の中マリアローザを獲得したかの有名なステージはガヴィア峠。
 
・そしてそのステージを勝ったのはハンプステンではなく実はブロイキンク。
(ずっとハンプステンがステージ優勝したと思っていた)
 
・降雪予報だったがレースは予定通り開催されるだろうと考え、チームスタッフが地元のスキーショップに行き暖かそうなものは何でも買い込み、そこで手に入れたネオプレーンのグローブが功を奏し、他の選手のように低体温症に陥らなかった。

(ネオプレーンのグローブって遥か昔からレイン/ウインターグローブとして使われていたわけではないのね)

・引退する前年の95年、モトローラからバネストに移籍。モトローラがアームストロング中心のチーム編成になったのが不満だったため。
(バネストで走っていたことは全く知らなかった)

 
・96年にUSポスタルに移籍し引退。
(補足:USポスタルは翌年にエキモフやヒンカピーが加入して戦力が強くなっているが、96年はまだアメリカ国内をベースとした小さいチームだった。)
 

メカ様にこの小ネタを披露したら「確かに知らなかったけど、どうでも情報だな!」と一蹴されてしまいました。

また、どうでも情報を仕入れたら披露したいと思います。

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